ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(東京)が終幕。
青空に新緑が輝く3日間だった。音楽に満たされた聖域のなかで、ルネ・マルタンや大好きなアーティストたち、読者やリスナーの方々、そしてたくさんの友人に出会えて(会えなくてもSNSごしに来場しているのがわかって)ほんとうに幸せだった。5階から吹き抜けの中庭やロビーギャラリーを見下ろし、
「ここにいるひとはみんな音楽を愛しているんだ」
と噛みしめる。それだけで胸がいっぱいになった。
写真は、午後6時ころのガラス棟。ラファエル・ヴィニオリの設計によるこの建物は、都心に浮かぶ大きな「船」。朝昼晩、刻々と表情を変えていく光が美しい、私の大切な居場所なのだ。
東京最終日は、レミ・ジュニエのピアノによるバッハ「アリオーソ」で、荘厳にスタート(341/ ホールC)。「さまざまな涙の作品集」というテーマのもと、ブリテンの「ラクリメ」やペルトの「ベンジャミン・ブリテンの追悼のためのカントゥス」まで。バロックから現代までのパシオンに震えた。
午後はクラシック・ソムリエカウンター。今年もたくさんの方に音楽をご紹介できて楽しく、また勉強にもなった。写真は担当交代時、ジャーナリストの大先輩・片桐卓也さんと。
初々しい20代のカップルへの選曲はもちろん、「ヴォックス・クラマンティスのひとりひとりのプロフィールってわかるかな?」など、個性的なご質問も。また、「いま聴いたショパンのワルツが入った、おすすめのCDあるかしら」といらしたマダムも。
ラ・フォル・ジュルネは音楽祭ならではで、CD購入者も多い。
ショップに群がらる人々を見ていると、「CD不況ってなんだっけ?」という気持ちになる。いつのまにか時代に流され、いつもライヴや配信のことばかり考えてしまうけれど、まだまだたくさんの世代の方がCDを必要としているんだな、「名盤」という切り口を捨ててはいけないんだな、とあらためて思った。
野外ライヴも盛り上がる。
音楽を楽しむ、ということに関して、この場にいる観客以上に実践しているひとたちはいるだろうか。マナーは大前提としながら、分かちあう楽しさと、赦す心を知る観客たちの洗練されたエスプリを見ていると、パリやロンドンのコンサートホールを思い出す。
このような環境で「0歳のコンサート」に通う友人の子が10歳、20歳になったら、日本はどんなに豊かな文化の国になるだろう。もうすぐ生まれる姪も、かならず毎年招待したい。そんなふうに思った。
夕方は、広瀬悦子さんのベートーヴェンとショパン(364/ G409)。パシオンのこもった幻想曲 op.49――まるで「リストのようなショパン」に彼女のリストを聴きたいと切望したら、アンコールでリストの超絶技巧練習曲が。テレパシーに震えた。
そして、楽しみにしていた指揮者ミシェル・コルボのマスタークラスへ。
「ヨハネ受難曲は私にとってのギフト。大好きな曲であると同時に、私の人生をともに走ってきた聖なる音楽です」というセリフではじまった彼の語りは、まるでそれ自体が音楽のよう。少年時代の「ハーモニー」との出会いをピアノを弾き語りしながら再現してくれたときには、奇跡のような出来事に涙が出た。
ローザンヌ創設のきっかけや音楽プロデューサーとの出会いと共同作業、彼の死、そこへ現れたルネ・マルタン……まさにパシオンに彩られた、感動の音楽人生だった。
「音楽を聴くことでかき乱され、乱されることによって心が整理される。音楽のおかげで私たち人間は、自分を解き放つことができるのです」
東京終幕。だいすきなコルボさんと。マスタークラスで彼は、まるで映画のような音楽人生と「歌」というギフトをくれた。胸がいっぱい。 #LFJ2015 #LFJtokyo pic.twitter.com/YQwAvziA1z
— 高野麻衣 (@_maitakano) May 4, 2015
ファイナルコンサートのあいだも、終演後も、彼のやさしいフランス語が何度もよみがえった。
帰路、彼の演奏するフォーレのレクイエムを聴いたら一気に気持ちがほどけ、そのまま眠ったのだった。
私の聖なる音楽。すばらしい3日間だった。
コルボの音楽に包まれ、本日は充電。しかし、私のラ・フォル・ジュルネはまだまだ終わらない。
週末は再び新潟へ。引き続きどうぞ、おつきあいください。